上野委員長 次に、大石あきこ君。
大石 れいわ新選組の大石あきこです。
参考人の皆様、お越しくださり、ありがとうございます。
私がこのこども家庭庁設置法案ですとかこども基本法案に関して感じている問題意識みたいなところをお話しして、それからお伺いしたいと思います。
私、三年前まで大阪府庁で公務員をしておりまして、なので、公務員だったんですね。今回も、このこども家庭庁というのを新たにつくるみたいなお話なんですけれども、私自体は組織いじりというのが好きじゃないんですよ。自分が大阪府庁の中で見てきたこと、やってきたことを考えましても、自民党の方とか維新の方とか、組織いじりで、やっています感みたいなのがお好きなんですけれども、やはりそういう、組織いじって結局何になるのという。
逆のメリットも、デメリットも結構ありまして、結局、パッチワークで所管とかをちょっといじったりとかすると、そういうことも覚えていなきゃいけないし、結果として、肝腎のコンセプトというのが曖昧にされて、人と予算がつかないということで、逆の、マイナスになることもあるよということで、私自体は組織いじりには懐疑的な方なんですけれども。組織いじりというより、大事なコンセプトがあって、それを組織全体がちゃんと確認して、必要な法案とか理念法案は作って、ちゃんと各省庁で人と予算をつけていくということが一番大事なんじゃないんですかと。
そういうこともあったので、先週の委員会では、こどもまんなかとおっしゃるのならば、学校の先生を増やさな話になりませんよね、でも、この四月から学校の先生、逆に減っていますよね、予算を減らしましたよねというお話をいたしました。
ということで、本来こどもまんなかといったときに必要なもの、みんなが思い浮かべるもの。大人がお金にとか時間に余裕がなくなって、そういうことを解決していく中で本当のこどもまんなかが実現されるであろうし、もっと子どもたちの主体性を認めていくこととか、そういうところからしか始まらないだろうというふうに思っていて、組織いじりに関して懐疑的なところがあるんです。
一方で、今回のこの委員会での議論を見ていましてもそうですが、やはり、象徴的なというか、シンボル的な、こういう意味はあるのかなというふうにも思っています。
参考人の方々の意見からも、横串での再構成というか、組織の再構成だったり、場合によっては予算取りにつながることも始まっているんだなというふうに思いまして、懐疑的な部分と、やはりシンボル的に、今このときに、こども家庭庁も含め、子どものための新たな組織ができるということは意義深いものもあるのではないかというふうに思うんですね。
というのは、やはり、参考人の方々を含めて、現場で、子どもたちの奪われた権利を取り戻していこう、当たり前の権利にしていこうという動きがすごく大きく進んでいるからです。そういったことが注目を浴びて、今回、こども庁をつくろうとかそういう動きになったんだろうと思いますし、ブラック校則に光が当たったりとか、いろいろ子どもの主体や当事者性ということについて、この委員会でも、大臣も含めて進んだ議論が、革新的な議論がなされてきましたので、これは、子どものみならず、この社会の中で弱い立場に置かれている人たちの権利向上にもつながるんじゃないかな、そのように感じてきています。
一方で、だからこの流れは止まらないと思うんですけれども、この流れを止めようとしている人たちというのが散見されるわけなんです。
例えば、四月二十二日に、この委員会の中で自民党の委員の方が、子どもの参加する権利というものの中で、非常に後ろ向きなことをおっしゃったんですね。子どもの参加する権利に関して、権利を一部の大人が子どもの代弁者として過剰に権利主張をして、家庭における子育ての否定につながるような、社会秩序に影響を与える、そんな可能性を排除できないのではないかという意見をされているんですね。何という後ろ向きな意見、取ってつけたような意見なんだというふうに思いますし。
その方だけではなくて、昨日の委員会でも、立憲の方が、こんな発言ありましたよねみたいなことを取り上げていらっしゃるんですけれども、副大臣の方すら御自身のブログでこのように言っていて、「子どもの問題は結局家族の問題であり、家族という共同体を国や自治体がどのように支援していくのかという問題になると思っています。」というような御発言であったりとか。
又は、安倍元首相が、これは、鳩山内閣、鳩山政権を批判したい、「暴走内閣を阻止せよ!」という読み物の中で安倍さんがこのようにおっしゃっていて、子ども手当によって民主党が目指しているのは、財政を破綻することだけではなく、子育てを家族から奪い取り、国家や社会が行う子育ての国家化、社会化です、これは、実際にポル・ポトやスターリンが行おうとしたことですとか。こういう方がよう総理をやってはったなと。そういう状況がこの流れを食い止めてきたのではないかということで、このようなこどもまんなか社会の最大の桎梏、妨げというのが、このような勘違いしたおっさんのど真ん中政治、ど真ん中国会というものではないかなというふうに思うんですね。
御質問していきたいんですけれども、そういう中で、こういう流れを食い止めようみたいな形で、やたら家庭を強調したり、あるいは、子どもコミッショナー制度というものが必要なのに、あえて法案から抜けているというようなことがあるんではないか、そういうマイナスの要素が加わった法案に賛成すべきなのかなと私は疑問を持っていまして、でも一方で、そのような反動が加わっても、この止められない子どもの権利拡大の流れというのが期待できるのか、そういう辺りでこの法案について私どもは検討を重ねているところです。
お伺いしたいんですけれども、こども庁ということから始まって、こども家庭庁というふうに家庭がついているんですけれども、政策としてはほとんど、家庭というより、むしろ、子どもたちを家庭に、自己責任にするんじゃなくて、社会の問題だよという問題意識でつくられている動きかと思うんですけれども、このこども家庭庁という命名なんですが、家庭がない方がいいんじゃないかなと私は思うんですけれども、参考人の皆さんにお伺いします。もし選べたら、こども庁かこども家庭庁か選んでええよと言われたら、どちらになさいますか。簡単な理由とともに教えてください。
古賀参考人 なかなかお答えしにくいというか、意図がちょっといま一つ理解し切れていないんですが、こども庁であれ、こども家庭庁であれ、子どもの幸せを願った政策をやっていただきたいものだというのが私のお答えになるかと思います。
土肥参考人 これは、政治的な経緯であったりだとか問題もあるかなというふうに思いますので、私個人としては意見を持ち合わせておりませんけれども、今、古賀先生もおっしゃられたように、こども庁なのかこども家庭庁なのかということももちろん大事ですけれども、何のための省庁なのかということが議論されるべきではないかなというふうに僕は考えます。
野村参考人 今日の発言の冒頭にも申し上げましたけれども、名称というよりも、この中で議論されていることが、やはり、子どもの権利ということを中心に置いて議論がなされているということには敬意を表しています。
その経緯の中で名称がどうなったかということは、よく、子どもの権利基本法とこども基本法という話も実はあって、だけれども、国際的に見てみると、大体、チルドレンズアクトなので、子ども法であったりもする。
そうすると、もちろん名は体を表すということはあるかもしれませんけれども、議論されている中身がとても大事だと思いますので、そういう意味では、今回、国会議員の皆さんには敬意を表したいところです。
末冨参考人 私も古賀先生と同じで、こども庁であってもこども家庭庁であっても、やはり子どもファーストの政策が実現されることが大事だと思います。
家庭というものの持つ意味についても、単純に生まれた親の下ではないということは、今までのこの国の法と政策の運用の中できちんと共通認識として確立されていることであろうとも思いますし、ゴールは、どの子もやはり権利を、そして尊厳を尊重され、安全、安心で信頼できる人間関係の中で育っていくことだと思います。
そうした成長の中で、様々な大人や様々な意見と出会いながら、自分はこう考えて決める、自己決定権の実現ができますし、家庭が大事だと思う人もいれば、子ども自身が大事だと思う人もいるよねと。そうした多様な考え方が尊重される基盤が子どもの権利の考え方だと思いますので、大石さんがそのように子ども自身の位置づけを大切に考えてくださっていることも民主主義の大事なところかと思います。
御質問ありがとうございました。
大石 御回答ありがとうございます。
続きまして、お伺いします。
子どもコミッショナーの制度についてなんですけれども、子どもの権利条約を具現化していくためには非常に大事な制度だと伺っておりますが、それがない法案というものは、通ったとしても、それが、近い制度が後からでもつくられると考えられますか、又は致命的な問題だと思われますか。お詳しい野村参考人にお伺いします。
野村参考人 今回、与党の法案の中には子どもコミッショナー制度がないということは、もちろん承知しています。議論の中でこれが抜けていったというその経緯についても、全て知っているわけではありませんけれども、承知しております。
この点は日弁連で意見書も出していて、やはり、子どもコミッショナーというのは必要であるということの議論は、日弁連内でも議論はされています。
しかしながら、この子どもコミッショナーの規定が抜けたからといって、この基本法案に、じゃ、反対するのかという問題は、日弁連で共通理解があるわけではありませんけれども、やはり、冒頭申し上げたとおり、子どもの権利をきちんと表現をして、そしてそれを、子どもの権利を中心にして政策を実現していこうという、これはとても重要なプロセスであるので、仮にコミッショナー制度がなかったとしてもこの法案の価値というのはあるだろうというふうに思っています。
ただ、それによって子どもコミッショナーが今後全く議論されないという話になってしまうと、これはいろいろな意味で問題が大きいと思われますので、是非継続して議論をしていただいて、何か足がかりを残しつつ、今後、議論を重ねていただいた上で、子どもコミッショナー制度を日本に設置していただきたいというふうに考えております。
大石 御回答ありがとうございます。
最後に、財源のことに関してなんですけれども、もう御質問する時間がないかもしれませんが、私は、国のお金を発行して、直ちに学校の先生の数を増やし、その他もろもろ、子どもたちのいじめをなくすことや子どもの権利の拡大に関して全力を挙げていく社会でなければ、もう一歩も動かないんだという考えです。ですので、国債発行、そういうやり方もあるよということで、れいわ新選組は訴えております。
これで質問は以上です。ありがとうございました。
※衆議院、内閣委員会 会議録より転載